しなくていいじゃんへの反論
しなくていいじゃんと言われたときに、
言葉に詰まったりすぐさま反論できないようであれば、生き方を変えるべきだと思う。
少なくとも今僕は拠り所を必要としている。
しなくてはいけないと強く反論できるものとは、何か。
僕は「他人」と「命」がキーワードだと思っている。
ひとのために自分の命をかけること。または、
ひとの命に関わるようなこと。
この2つのどちらかまたは両方を僕の人生に組み込まないといけないという気持ちになっている。具体的な例を挙げると、
自分の命をかけた漫画を完成させること。
子供を育てること。
これらのことをやっているときだけは、しなくていいじゃんと言われたとしても強く反論できる。
こんな面白い漫画を描けるのは過去にも未来にもただ僕だけで、それを外在化させなければ手に入れられていた人々の喜びをみすみす失うことになるのだ。
無限の可能性のある子供の可能性を消さないこと。というかこれは理屈ではなく、目の前にいる子供の命を守ること。
すくなくともどちらかを早急に僕の人生に組み込む必要がある。僕が生き生きと生きるために。
追記
命に関して言うと、
母の面倒を見るということがあった。見たくないから見ないフリをしがちだ。子供よりこっちの方が喫緊だ。真剣に取り組まなくてはいけない?
ネットの可視化の効果とは
ネット時代様々なものが可視化されるようになった。
多くの贅沢が見えて妬み嫉みが膨張した。
多くの贅沢が見えてやりたいことが膨張した。
多くの似たものが見えて安心が膨張した。
多くのものが瞬時に多くの人々の目に触れ、すぐに均一化し、むさぼられ、あっという間に忘れ去られる。
創造については、おそらく影響はない。二次創作やパクりは膨張するが。
真の創作は可視化と関係がない。過去の天才たちは全く消えず残されている。創造に大切なのはネットの情報ではなく、自分の目で見る現実世界である。
脳の本の要約
「人差し指が短いと理系」
要は、男は人差し指が短い、女で人差し指が短いと同性愛者の割合が高い。指を見ると胎児時に男性ホルモンを浴びた度合いがわかる。へぇー。
「天パはIQが低い」
統計上これは事実であるが、因果関係はない。
要は、エビデンスができたからといって因果関係はない。薬を飲まなくても治っていたかもしれない。相関関係と因果関係の区別は大事という話。
「恋は盲目」
好きな人の理由なんて適当で自覚できない。
恋愛中の脳はヘロイン中の脳と同じ部位が活動している。つまり恋は快楽であり盲目性がある(やめられない)。しかしこれは必然の機能である。冷静に考えれば人は「私にはもっといい相手がいるはず」と考え、いつまでもパートナーを決断できない状態になるものである。それを停止させる効果がある。盲目性に捕らわれ「この人が運命の人だ」と思わせるのだ。この機能がなければ人類は絶滅していただろう。という話。
「記憶する機能が必要なわけ」
未来に対する備え、はもちろんのこと、現在の自我を安定させるためにある。昨日の私と今日の私が同じ連続した存在だと感じるためには記憶が必要。しっかりした記憶が安心を生む。この考えを発展させると、創造、つまり自分の中のなにかを外在化させることは記憶の外在化であり己の痕跡である。それは強い安心を生む。なぜ創造するのか?という問いのひとつの答えとして、強い安心感を得るためといえる。
「正しさとは」
自分の知っている世界の中で、自分にとって心地よいもの。
見たり聞いたり読んだりしたもののなかでという意味。
正しいイコールこうであるべき。という公式。自分の望む秩序。
つまりは個人の願望にすぎない。
「頑張れの効果」
実験。サブリミナル効果で頑張れというメッセージを事前に見せると、握力のパワーと力の入るまでのスピードが上がる。
ポジティブな言葉は、能力のよりよい発揮に役立つという、常識的な話。
「人間は作話する」
いろいろと広がりそうなテーマである。
人は感情と行動が矛盾していると論理的に結びつけようとする。実験でも多くがその傾向を示している。(健忘症の握手、図書館貸し出しの接触、脳粱の切断とペンと時計とドライバーと笑え)
例えば足に痛みを感じたときなぜ痛いのかを考えないとその原因を除去できない。
論理的思考をする生物が人間である。
発展させて、意味を強く求める僕は強く人間的?生存願望が強い?知性が高い?のいずれか??
「生命とは?」
定義の話。
自己増殖するもの?
外部からエネルギーを取り入れるもの?
死んでいないもの?
そこに生命があると感じたらそれは生命があるのだ。という捉え方。
アンドロイドと魔女狩りの問題。
もう一方に、もっと単純にこれは生命だと感じる領域があり、グレーゾーンがあり、これは生命がないとはっきりいえる領域がある。
「意志の発生前に準備は始まる」
人間はこう動いている。
①準備(身体)
②動かそう(意識)
③動いた(意識)
④指令(身体)
例。身体はもう日の出を見ている認知的にはまだ見えたと感じない。このとき脳の視覚を感じる部位の一部を停止させるとその部分だけ日の出の光が見える。
脳は
入力+ゆらぎ=出力
「予測とフィードバック」
幼児はフィードバックしかできない。成長すると予測機能を使い出す。スピードを求めて。
生存のために予測機能は常に働き、それは過剰になる。その結果認知が先になりその後に行動するという奇妙な現象が起きるのではないか。
「縦と横は等価じゃない」
「ゆらぎ、ノイズ」
①最適解への接近
ひねくれの蟻の話。
②確率共振
弱いシグナルを増幅させ感知する機能。
暗い場所でも次第に目がなれてくるのは確率共振の効果である。
③創発のためのエネルギー源。
脳は自らノイズを産み出しそれを秩序立てる行為を繰り返す。その動きがエネルギーとなる。
秩序と混沌の反復がエネルギーとなる。
虚無と喜びの反復がエネルギーとなる。
ゆらぎはある程度コントロールできる。そのためにはフィードバックが必要。今のゆらぎがどの程度か知る必要がある。
「創発」
単純なルールを個々に指示し、反復を重ねると想定していなかった新しい性質を獲得する。これを創発という。
回路の中のニューロンは意図せず勝手に創発してしまう。これが集合ダイナミクスで複雑系の醍醐味である。
回路無しでも創発は起こる。素子単体と環境との相互作用をさせる。
環境によって素子が影響を受ける→
素子が環境を変化させる→
「べき則」
べき則とは自然界の鉄則と言われる。秩序。
正規分布はランダム。
誤りについて
誤るから多様性へと開かれる。
誤りがなければどこまで行っても一本道である。
街で見知らぬおばあちゃんを見る。
自分のおばあちゃんに対して良い思い出があると親しみを感じる。自分のおばあちゃんに対して何も思い出がなければ、特別感情が動くことはないだろう。
自分のおばあちゃんと見知らぬおばあちゃんが脳のなかで繋がるのである。全く別人でも。これは脳の錯誤、誤りと言える。
この誤る機能(これを機能といっていいのか?)のおかげで、人に優しくなることができる。逆に厳しくなったりもする。
神はあえて人間に誤る機能をセットしたのではなかろうか。愚かさをセットしたのではなかろうか。
誤るから、世界は広がり変化する。
誤るから、なにかが起こる。
誤らなければ悪いことは起きない。良いことも、何も起きない。止まっている状態。つまり死んでいる。
誤るからこそ、生きているといえる。
いつも創業と成長期でありたい
企業の成長ステージは大きく4つに分けられる。その中の創業期と成長期の状態を、自分の精神状態の常としたい。
創業期とは、新しいものの土台を作ること。画期的なアイデアとルールを生み出し具現化まで持っていくパワーが必要である。他人からは全く評価されないので孤独なとき。
成長期とは、新しいアイデアを推進していく実行力とスピードが必要。結果が目に見える形となって表れ、他人に評価され、自己肯定感が増大するとき。
この二つを常にするには、なにかしらを同時平行する必要がある。ひとつでは必ず安定期から衰退期へ移行していくからだ。安定期に入ったところで、別のなにかの創業期に入らなければならない。その循環を上手にやることが、創業と成長期を常にすることに繋がるだろう。
正しさと文脈
その部分だけ切り取れば正しく異論はない。しかし世界は切り取られていない。全て歴史という文脈の中で行われる。つまり、いついかなるときも「昨日がある」ということを勘定にいれなければならない。
例えるなら
「他人を殴ってはいけない」という文章は正しいし同意する。
しかし、我が子が突然暴漢に襲われそうになったら暴力を使って止めるだろう。やめなさいと言ったところで暴漢に殺されてしまう状況では。
このような文脈の中に置かれたとき、「他人を殴ってはいけない」という文章はまるで正しさを失う。
言いたいのは、
切り取れば正しいが(言葉は切り取れるが)、
現実の世界は切り取れない。
ということ。
寄生獣3話その2、家族について
家族の中の関係性を4つに分けてみる。
・親と子供
・兄と弟
・夫と妻
・祖父母と子供
ミギーと新一の関係性はどれにあてはまるかあてはまらないか。
新一から見れば、ミギーは突然共生しなければならなくなった全くの他者として現れる。
ミギーから見れば、初めて意識を持った時点で共生しなければならない存在として新一は現れる。
ミギーの場合は簡単で、ミギーが子供で新一が親という関係性である。命を二人で共有しているので離れられないが、知性の差が歴然としているので子供特有の劣等は無い。そのため兄弟関係に近い親子関係である。
新一の場合、例えるなら、突然あなたには子供がいたことを告げられその子供の保護をお願いされたようなものである。しかもその子供が自分より頭がいいという、親子関係に近い。
現実的にはありえない親子関係だが、いびつな親子関係の物語として読める漫画が寄生獣である。親子の物語なのだこれは。