sabion’s diary

自分を知るためのブログです。

2019年の抱負

「去年やれなかったことをやる」

 

ですね簡単にいうと。

1集大成の完成

2貯金

です。これをやるだけ。

 

もう少し具体的にすると、

1毎日ネタを描く習慣を身につける(スタバにいったら漫画を描くのが義務と感じるように)

 

2単に積み立て預金を始める

 

簡単な話だ。

この1と2の他もメモ程度に書いておく。

美人画(椿姫、ひまわり、バー、宿題がいっぱい)他に知り合った人の絵を

・4コマ年表

・人に話せる話題が欲しい(合コン、可能性少ないけど、車買う、)

・何かの種をまいて育てる

・家族について考える

 

まあ、1と2が重要だ。

寄生獣 3話

3話冒頭の寄生獣が4人の人間を殺すシーンの頭部の変形も目新しさと魅力さがある。

 

ミギーの可愛さは漫画成功の大きなひとつだ。主人公と身体の一部のキャラとのコンビといえば、鬼太郎と目玉おやじが思い出される。鬼太郎の場合は、普通に父と子の関係性である(目玉おやじは力がなく去勢的であり、母的な役割も兼任している)。

寄生獣の場合は、突然一緒に暮らすこととなった他者である(身体が同じ一つなので家族的である)この設定は個人的に興味ある。僕にもしこの先家族ができるのならば、このような「突然偶然的な他者」がいい。

ということはどういうことだ?

行きずりの女とセックスをして妊娠というシチュエーションか?

しかしミギーは性的対象ではない。そこが決定的に違っている。

ミギーは妻より、つまり家族より、仕事仲間の方が近いか?

 

 

なるほどミギーは家族の問題と関わっている。

家族とは意見や価値観の一致など必要条件としない。身体の共有、生命の共有こそが家族の条件である。

となると僕の家族とは?

 

3話では、昔から幾度となく物語のテーマとされる「人間が一番悪魔的である」という命題が明示される。まずは、人間は無数の生物を殺し摂取する、という表現で。デビルマン的な大きな物語を期待させ、ワクワクしてくる。

寄生獣 1話と2話

絵や漫画の技術は低い。(28pの新一が教師に殴られたとされる場面。コマの流れが無機質というか意匠がない、リテラシーの低い読者はスムーズに読み取りにくい)

絵の構図が単純。シンプルともいえるが実はこのシンプルさがグロテスクさの過剰さを抑え読みやすくし、作家の世界観を如実に伝えているのでとても良い。つまり言いたいことは技術は低い。それはこの作家にとって全く悪いことではなく表現の重要な要素となっていて素晴らしいということ。

 

 

名作は第1話が最高によくできているのが常だ。寄生獣にもいえる。他の名作第1話もいろいろ調べてみたい。

第1話の役割は「読者を引き込むこと」につきる。まだこの物語についてなにも知らない読者をいかにして引き込むか。たらたら説明されても読む気にならない。何か大きな話が始まる予感。読者にとって気持ちいい物語が始まる予感。読者に関係あると思わせること。読む必要がないと思わせないことつまり読む必要があると思わせること。

 

第2話でヒロイン登場。物語の王道である。僕たちはいつだってこの展開を飽きず欲しがっている。そしてミギーと同じ寄生獣が登場してバトルする。展開は王道。読者をスムーズに導く。

生麩丼 大阪

焼き目のついた細長い粟麩とよもぎ麩に甘辛いたれがからんでいる。歯応えが残るように切られた白ネギ。生麩の弾力が心地よい。ただ、うまい!という感情は生まれない。はたして本当に生麩とご飯は合うのか。丼より生麩茶漬けの方がいいのではないかと思った。自分で色々試作して答えを出してみよう。


f:id:sabion:20181120191735j:image

ジョジョ第5部論(3)

ブチャラティが登場する。この場面はなかなかカッコいい。

 

ここでブチャラティがジョルノの顔に流れる汗を舐めるシーンがあるが、ジョジョの持ち味である変態性を考慮しても不自然なシーンに見える。いたるところで感じるが5部は作者のズレ、迷い、のようなものがあり憑依感に欠けている。

 

ジョルノのスタンド「ゴールドエクスペリエンス」の第2の能力、殴った相手の意識だけを暴走させる、というものもとってつけたようなものでアイデア力に欠ける。4部まで描いた作者の力量は神的だがさすがに5部においては失速したと言わざるを得ない。

 

ブチャラティのカッコいい台詞のひとつを記録しておこう。

「答えろよ...質問はすでに、拷問に変わっているんだぜ?」

 

ところでちょっと強引に話をふくらますと、大金を拾ったらどうする?という問いが話のなかで出てくる。皆さんは、お金を拾ったらどうする?金額によってどう行動が変わる?ここにはその人の性格の何かが強く現れるところだと思う。

ジョジョ第5部論(2)

2話で涙目のルカ登場。ここでジョルノがディオの子供だと読者に明示させる。読者にわくわくさせる要素がこのあたりはまだある。しかしこの先話が進むにつれ、この第5部は、展開に不自然さ、敵との戦いでの勝利の仕方に強引な解決策や、説得力を欠く描写がいたるところに現れてくる。3、4部の濃密度に比べると作者の情熱やキレが明かに落ちている。しかしそれでもジョジョの世界観は十分楽しめる。

ルカと出会う直前のジョルノの立ち姿、いわゆるジョジョ立ちは、他の漫画家には絶対描けないオリジナルなかっこよさがある。

 

3話で康一くんとジョルノが再会するが、その直前のシーンにギャングを思わせるキャラクターが小さく登場するが、あれはブチャラティなのかしら??

ジョジョ第5部論

ジョジョの物語の大きな魅力は意外性にある。中でも優劣が頻繁に逆転するところに読み手は心を揺さぶらされる。有利だった者が突然不利になったりその逆である。例えば4部露伴の有名な台詞「だが断る」はその代表例だ。

 

5部1話でも逆転を立て続けに仕掛けて、新たなジョジョ第5部の世界に読み手を一気に引き込んで行く。康一がジョルノにバッグをひったくられたと思わせ、エコーズでジョルノを止める。ジョルノの慌てた顔を予想させておいての、ジョルノの微笑。ジョジョの世界では見飽きるほどの定番の展開だが、読者は気持ちよさを感じずにはいられない。

 

ジョルノの初登場シーンで、彼は耳を耳の中に入れているが、実際人間には無理である。耳たぶなら耳の穴に入れ込むことができるそう。

 

To be コンテニュー