チャーハンの記録(初回)
材料
ごはん
卵一個
ネギの白い部分
ネギの青い部分
塩
油
まず油をフライパンに熱し、卵を溶かずに入れる。お玉軽くほぐし、白ネギ投入、10秒炒めてご飯投入、おたまでご飯をつぶしてほぐす。焦げそうになったらあおる。塩を全体にふる(今回薄かったので次回は1.5倍で)、まぜつつさらにおたまでご飯をおしつけ、青ネギをくわえてまぜて完成。
食べたらネギが香ばしく美味しかったが塩が足りない。もともとのご飯がやわらかかったので、パラパラ感がない。
次回は
塩を増やす。パラパラ感を出す。(どうやって?)もっかい本を見る。
万引き家族観賞
さっき名演小劇場で観てきました。
日に日に家族という概念が僕の中で大きくなってきているのを意識させられました。
ストーリーは常識的な形で終わっていきます。物足りなさは感じましたが、具体的な状況を描かずに終わったので、観客の想像で大きく補えるようになっています。
多様な解釈に開かれている映画とはいえ、温かみのある家族のような偽の家族より、どんな関係性であれ血の繋がった家族が大事なのだ、というメッセージを受け取りやすい作りにはなっています。無難ではあります。でも僕としてはもっと踏み込んでほしいです。監督の好き嫌いをもっと見せてほしい。
どうも僕は今、血の繋がった家族の価値を下げるような作品を観たいと思っています。
血の繋がりは確かに大きいですが、あまりに社会で硬直しすぎている価値観に思えて嫌なんです。
こんなことをまず考えさせてくれる素晴らしい映画作品です。
原因と結果を取り違えること
内田樹がよくいっている。
人間は原因と結果をしばしば取り違えるものだ、と。
なるほど、僕もそう思う。それは人間の愚かさのひとつの傾向なのだろう。
個人的な例でいうと、
僕はいつもズボンのポケットに鍵をいれていた。新しいズボンを買ってはきはじめた。ある日太もものあたりに鍵があたって少し痛いなと感じた。ズボンを脱いで太ももを見るとおできのようなものができていた。そこで僕は思った。おできにすれるからしばらくポケットに鍵を入れるのやめようかな、と。
その直後気づいた。ああこれが原因と結果を取り違えるということかと。
多分事実はこうだ。新しいズボンの生地の性質によって鍵と太ももの間でなにかしらの反応が起こり、まず始めにおできができたのだ。
なんか痛いなあ→おできができていてそこに鍵が触れているから痛いんだ!
ではなく、
このズボンのポケットに鍵を入れるとおできができる。
ということである。
内田樹の言葉。
「いかなる根拠もなしに人を傷つけ損なうもの」の対極には、「いかなる根拠もなしに人を癒し、慰めるもの」が屹立しなければ、私たちの世界は均衡を失うだろう。
僕が
暴力とエロスに関心が行くのは、
笑いと女に関心が行くのは、
売春的なものに関心が行くのは、
そういうことなのかもしれない。
意味に憑かれた僕が
無意味で不条理な暴力性を強く感じるこの世界で
なんとか立っていられるように、
バランスを保っていられるように、
無意味に分け隔てなく癒し慰めるものに、救いを求めているということなのか。
うどんの記録
今日もうどんを作ったけど、うまくいかなかったので、次試したいれしひレシピを記す。
水1.2リットル
昆布8g
煮干し20g
鰹節20g
昆布を水に浸す。30分後煮干しを加え中火。沸騰前に昆布を除き、10分煮る。煮干しを除き鰹節を加え6分煮る。