カクテルグラスを割ってしまった。
大好きなbarで、手が滑ってグラスを落とし割ってしまった。高価なものを破損させてしまった罪悪感とマスターが長い間丁寧に扱っていたものを破損させてしまった罪悪感。
交通事故を起こしてしまったときの感情と本質的に同じなんだろうと思った。
最悪グラスや車は弁償できる。
だけどマスターがグラスに注いだ愛情(お気に入りかもしれないし、少なくともいつも丁寧に洗って拭いているのを見ている)や、人に傷をつけてしまったことは、完全にもとに戻すことはできない。
だからその損失を埋めるためには新しい何かを贈与するしかない。
そうして、すべての事は、前進していくのだと思う。
失ったものはもとには戻せない。その埋め合わせは新たなものを与えるしかない。
他にも気になることがある。
罪悪感についてです。
この罪悪感が重なり自分の許容を越えると、人は3つの選択を迫られる。
1.罪悪感に押し潰され自殺へ進む。
2.罪悪感に耐えられず感覚をマヒさせる。
3.罪悪感に耐えられず邪悪なものに自分の主体性を譲る。
長くなると思うので、この議論については次の機会に考えます。