sabion’s diary

自分を知るためのブログです。

これからの会話は実験的にやっていこう

相手には申し訳ないが、これからしばらく人と会話をするとき、実験的にやっていこうと思う。

 

まず会話は何を目的としているかだが、ビジネスを別にすれば、基本的に「好かれるため」だと思う。情報の伝達も、そうすることによって好かれるためだろう。

 

最近読んだ7つの習慣という本に書いてあった会話で大事なこと。

•相手の発言から、何を望んでいるかを読み取ること。聞き手に何を言ってほしいのか、何をしてほしいのか。

•相手の立場、目線に同調して(感情移入)発言する。共感すること。問題の解決も聞き手が解決行動を起こせるようなアドバイスを与えること。

 

この2点を意識して会話することにします。これをうまく使いこなせれば会話の上達に資するはず。

 

あと、グライスの会話4原則も記しておきます。話者が守らなければならないことです。もしくは聞き手が仮定している会話のルール。

•質の原理

 真実を述べよ。

•量の原理

 必要な情報量を述べよ。多すぎても少なす

 ぎてもよくない。

•関連性の原理

 関係のあることを述べよ。話が飛び飛びで

 いけない。

•様態の原理

 曖昧な表現は避けよ。

 順序立てて述べよ。

暗号的な文章です。(自分しかわからないように)

停滞は変化の前兆である。

 

停滞を感じるのは、

壁が目の前に現れた証拠かもしれない。

現状に不満を感じているのは確かだ。

身体が変化を求めている。

停滞を感じているのは能動性の表れのひとつだ。

 

 

ずっとsでmしているが、なにか新しいことができないだろうか。

•新たなキャラクターを作る

•新たなネタのパターンを作る

•漫画コラボをやっているが、映画コラボも

 やってみる

•クイズや謎解き、ミステリーもの、

 読者との相互性

•商品の宣伝やお知らせ

ショートショート(小説)絵付き

•いろんな画風で(北斎、図形、ドラクエ、)

 

停滞は変化の前兆である。

停滞を感じるのは前へ進める者だけである。

行けるところまで行こう、行けるんだから。

人生に意味づけするとしたら、この「授かった能力の発揮」こそが一般的にいっても1番得心のいく意味だと思う。

 

 

 

 

今は付き合いたくない、というのは○○な相手なら付き合いたいということですよね。

仕事が忙しいとか、個人的にやりたいことがあるとか、金が無いとか。なにかと理由をつけて、「今は付き合いたくない」というが、その自分のやりたいことを邪魔しない相手なら付き合ってもいいということだよね。

 

遠出のデートに興味無く、僕が絵や漫画を描くことを期待してくれて、読書や映画が好きで、笑いのセンスがあり、金銭感覚が似ていて、

色気がある相手なら···ああ!僕は是非とも付き合いたい!

僕はこういう人が好きなんだ。

上記の条件を満たす女性と出会う確率の高い場所はどこだろう?

まずインドアな人だね。芸術系に関心のある人、笑いのセンスが必要だから馬鹿では駄目、贅沢しないのだから苦労してる人、つまり働いている人、だけど大企業とかではない(金持ちになるから)。そして色気は···これは場所は関係なく本人の天性だ。以上をまとめると、

•本屋、の店員や客

•美術館、のスタッフや客

•映画館、のスタッフや客

•カフェ、の店員や客

図書館、のスタッフや客

他は何が考えられるだろう?人に聞いてみよう。

エロティシズム考察

混乱した文章だが、書き綴ることによって整理していくつもりなので読者には迷惑をかけるが許してほしい。

この世は意味に溢れている。人が作り出したものには全て意味がある。意味の無い人生にも意味を当てはめないと不安で生きられない。

生きる意味はエロティシズムと笑いだ。
乱暴にいえば僕にとってこの2つだ。
生きててよかったと感じるのは圧倒的にこの2つだし、この世から無くなって絶望を感じるのもこの2つだ。
セックスではなくエロティシズムと言ったのは、女だからといって性的に欲望しない女もいるからだ。そしてまた、セックスしなくてもエロティシズムを充分感じられれば大いに満足できるからだ。
とは言ったもののセックスが重要なものであることには変わりない。

僕なりにセックスを定義してみる。
「セックスとは、生きている喜びと感謝を二人で体験することである」
人前でやる行為とは思わないが、うしろめたさを感じることもない。
バタイユのエロティシズムの定義をだいぶ借りています。彼はエロティシズムをこう定義しました。
「死におけるまで生を称えること」であると。

僕は求める!エロティシズムを!
生を実感でき、生の喜びを最大限感じられるのがセックスだからだ!
美味しいものを食べることより、旅行などより、勝負よりもエロティシズムこそが強烈だ!

エロティシズムの源泉たる女(異性)。エロティシズムにとって「禁止と侵犯」と「性的欲望」は不可分である。
エロティシズムの無い女になんの価値がある?だったらそいつは男でいいじゃないか。恋人にエロティシズムが無ければ、そいつは男でいいじゃないか、友人でいいじゃないか。
今私は勢いにまかせて偏ったことを述べているのかもしれないが、私の心は、全く正しいことを言ったときのようにスッキリしている。

食欲と性欲が僕を動かす。

まずなにか食べなければ餓死する。
今日本で暮らしていて食事に困ることはない。仕事ができ、お金をもらえれば、コンビニですぐ食料を手に入れられる。
これだけだと僕は仕事以外は引きこもりになるだろう。自分の部屋でゲームやネットや読書や絵や漫画を描いていれば不満はないからである。

ただこうならないのは性欲があるからだ。
僕の性欲が僕の身体を外へ動かす。

つまり僕にとって外へ遊びに行くということは性欲を満たすため、とも言える。

女を見るため、女と喋るため、女を描くため、女と触れるため。

なるほど。乱暴にいえばこういうことなのか。
またひとつ自分のことが知れた気がする。そのためにこのブログを始めたので、いきなり成果が出て満足だ。

書き留めておきたい言葉。レヴィナス。内田樹。

レヴィナスの他者論の基盤となっている「歓待」とは?

文字通り、自分の家に他人を迎え入れて、ご飯を食べさせて、一夜の宿を提供し、裸の人には服を着せ、裸足の人には靴を履かせることです。

食うこと、飲むこと、寝ること、服を着ること、そういう身体のリアリティからレヴィナスの他者論は出発しています。他者の精神や心に向かっているわけではない。

 

レヴィナスは人間の毀損可能性を重視する。

人間の心は、人間の身体を壊すことができるように、壊すことができる。

人間は壊れる。たやすく壊れる。だからこそ他者はまずその身体において保護されなければならない。それがレヴィナスの他者論のかんどころだと思います。

 

他者はその思考や感情、あるいは信教やイデオロギーにおいて出会われるより先に、まずその身体的な受苦において、その疲労と空腹と眠気と痛みにおいて、出会わなければならない。

この他者論にはユダヤ人独特のものの考え方が深く刻印されているように思われます。

         ~内田樹による内田樹~より

人間らしく生きるために人間をやめる。の馬鹿らしさ。

長生きしたいがために、人生のほとんどを健康維持管理のために使う生き方とは、いったいぜんたいなんのためなのか?
という問い。
60年後に神が降臨するのか?死に別れた恋人が復活するのか?

正しさに固執する人間は、いったいなんのために正しいことをするのかについて常に考えた方がいい。
思考を停止して、正しさに絶対的特権を与えた人間は、最終的には
「正しさのために死んでもいい」
となる。別にそれでいいならいいですけど。

しかし「人間らしく生きるために死にます」という言葉の矛盾は明らかである。

酉年(とりどし)の元日、手塚治虫火の鳥のセリフを書いておこうと思う。

「虫たちは自然が決めた一生のあいだに····ちゃんと育ち、たべ、恋をし、卵を産んで満足して死んでいくのよ。人間は虫よりも魚よりも犬や猫や猿よりも長生きだわ。その一生のあいだに·····生きている喜びを見つけられればそれが幸福じゃないの?」