sabion’s diary

自分を知るためのブログです。

エロティシズム考察

混乱した文章だが、書き綴ることによって整理していくつもりなので読者には迷惑をかけるが許してほしい。

この世は意味に溢れている。人が作り出したものには全て意味がある。意味の無い人生にも意味を当てはめないと不安で生きられない。

生きる意味はエロティシズムと笑いだ。
乱暴にいえば僕にとってこの2つだ。
生きててよかったと感じるのは圧倒的にこの2つだし、この世から無くなって絶望を感じるのもこの2つだ。
セックスではなくエロティシズムと言ったのは、女だからといって性的に欲望しない女もいるからだ。そしてまた、セックスしなくてもエロティシズムを充分感じられれば大いに満足できるからだ。
とは言ったもののセックスが重要なものであることには変わりない。

僕なりにセックスを定義してみる。
「セックスとは、生きている喜びと感謝を二人で体験することである」
人前でやる行為とは思わないが、うしろめたさを感じることもない。
バタイユのエロティシズムの定義をだいぶ借りています。彼はエロティシズムをこう定義しました。
「死におけるまで生を称えること」であると。

僕は求める!エロティシズムを!
生を実感でき、生の喜びを最大限感じられるのがセックスだからだ!
美味しいものを食べることより、旅行などより、勝負よりもエロティシズムこそが強烈だ!

エロティシズムの源泉たる女(異性)。エロティシズムにとって「禁止と侵犯」と「性的欲望」は不可分である。
エロティシズムの無い女になんの価値がある?だったらそいつは男でいいじゃないか。恋人にエロティシズムが無ければ、そいつは男でいいじゃないか、友人でいいじゃないか。
今私は勢いにまかせて偏ったことを述べているのかもしれないが、私の心は、全く正しいことを言ったときのようにスッキリしている。