寄生獣 1話と2話
絵や漫画の技術は低い。(28pの新一が教師に殴られたとされる場面。コマの流れが無機質というか意匠がない、リテラシーの低い読者はスムーズに読み取りにくい)
絵の構図が単純。シンプルともいえるが実はこのシンプルさがグロテスクさの過剰さを抑え読みやすくし、作家の世界観を如実に伝えているのでとても良い。つまり言いたいことは技術は低い。それはこの作家にとって全く悪いことではなく表現の重要な要素となっていて素晴らしいということ。
名作は第1話が最高によくできているのが常だ。寄生獣にもいえる。他の名作第1話もいろいろ調べてみたい。
第1話の役割は「読者を引き込むこと」につきる。まだこの物語についてなにも知らない読者をいかにして引き込むか。たらたら説明されても読む気にならない。何か大きな話が始まる予感。読者にとって気持ちいい物語が始まる予感。読者に関係あると思わせること。読む必要がないと思わせないことつまり読む必要があると思わせること。
第2話でヒロイン登場。物語の王道である。僕たちはいつだってこの展開を飽きず欲しがっている。そしてミギーと同じ寄生獣が登場してバトルする。展開は王道。読者をスムーズに導く。
ジョジョ第5部論(3)
ブチャラティが登場する。この場面はなかなかカッコいい。
ここでブチャラティがジョルノの顔に流れる汗を舐めるシーンがあるが、ジョジョの持ち味である変態性を考慮しても不自然なシーンに見える。いたるところで感じるが5部は作者のズレ、迷い、のようなものがあり憑依感に欠けている。
ジョルノのスタンド「ゴールドエクスペリエンス」の第2の能力、殴った相手の意識だけを暴走させる、というものもとってつけたようなものでアイデア力に欠ける。4部まで描いた作者の力量は神的だがさすがに5部においては失速したと言わざるを得ない。
ブチャラティのカッコいい台詞のひとつを記録しておこう。
「答えろよ...質問はすでに、拷問に変わっているんだぜ?」
ところでちょっと強引に話をふくらますと、大金を拾ったらどうする?という問いが話のなかで出てくる。皆さんは、お金を拾ったらどうする?金額によってどう行動が変わる?ここにはその人の性格の何かが強く現れるところだと思う。
ジョジョ第5部論(2)
2話で涙目のルカ登場。ここでジョルノがディオの子供だと読者に明示させる。読者にわくわくさせる要素がこのあたりはまだある。しかしこの先話が進むにつれ、この第5部は、展開に不自然さ、敵との戦いでの勝利の仕方に強引な解決策や、説得力を欠く描写がいたるところに現れてくる。3、4部の濃密度に比べると作者の情熱やキレが明かに落ちている。しかしそれでもジョジョの世界観は十分楽しめる。
ルカと出会う直前のジョルノの立ち姿、いわゆるジョジョ立ちは、他の漫画家には絶対描けないオリジナルなかっこよさがある。
3話で康一くんとジョルノが再会するが、その直前のシーンにギャングを思わせるキャラクターが小さく登場するが、あれはブチャラティなのかしら??
ジョジョ第5部論
ジョジョの物語の大きな魅力は意外性にある。中でも優劣が頻繁に逆転するところに読み手は心を揺さぶらされる。有利だった者が突然不利になったりその逆である。例えば4部露伴の有名な台詞「だが断る」はその代表例だ。
5部1話でも逆転を立て続けに仕掛けて、新たなジョジョ第5部の世界に読み手を一気に引き込んで行く。康一がジョルノにバッグをひったくられたと思わせ、エコーズでジョルノを止める。ジョルノの慌てた顔を予想させておいての、ジョルノの微笑。ジョジョの世界では見飽きるほどの定番の展開だが、読者は気持ちよさを感じずにはいられない。
ジョルノの初登場シーンで、彼は耳を耳の中に入れているが、実際人間には無理である。耳たぶなら耳の穴に入れ込むことができるそう。
To be コンテニュー
H30.11.8
最近バーに行ってない。理由は自分なりにわかっている。
仕事で充実感を感じられなくなったからだ。一日を終えて仕事でやりきった感があれば、その報酬を自分に与えようとバーや外食へ足が向かう。
経営者に対する決定的な失望と、業務内容に熟練し手持ちぶさた気味になっていることだ。
最近は仕事を終えても充実感がないので、充実感を得ようとして漫画や絵を描く行為へ向かわせる。スタバやコメダや家へ足が向く。それは集大成漫画を40歳までに完成させるという決意をしたので、バーへいってる場合ではなく漫画を描かなければという使命感を感じているのも大きな要因だ。
僕はこれはいい傾向だと思っている。僕の関心が、着実に自分の作品制作へ注がれてきていることの表れだからだ。このままいきたい。また3か月後、もっともっと作品制作へ意識が向いている自分になっていることを期待している。もしかして全然スタバへ行かなくなってたりして笑