sabion’s diary

自分を知るためのブログです。

最近関心のあることがらのメモ

最近関心のあることがら

・悪とは?(ダークナイトを観て)
・時代の兆候
 クレーム化(社会の市場原理化)
 ネットとsnsの功罪(安易な自己肯定による堕落、インスタの自撮りの不気味さ)
・バーのマスターとの話題(クレームや非常識やそれおかしくない?や日常の疑問点)
・自分の変わらないところ、変わったところ
・車を所有すること
・ふつうのひとたちの生活とよろこび
 朝食について
・頭がだんだん悪くなっているのか?
・時間(自然と時間の流れ、ネットと無時間)
・好きな映画、もっと細かく

座右の銘たち

内田樹

...これまでの人生「手抜き」で通してきた人は、つい「手抜きベース」になっちゃうんです。...

文章を書くということは、いつだって「限界に挑戦する」ということなんですよ。わがうちなる「バカの壁」、わがうちなる「凡庸の境界線」を踏み破ってゆくということなんです。そうじゃないと、ものを書くことなんて、本当にただの苦役にしかならない。

いつか言いたい言葉

「絵のモデルになってくれませんか」

という言葉を見知らぬ他人に対して発するためには、その人を感動させる絵を描く自信がなければいけない。

 

「付き合ってください」は君を幸せにする自信があるから。

「任せてください」それを成し遂げる自信があるから。

 

その言葉を口にできるように、自信を積み上げていこう。自信とは小さな結果の積み重ねだ。

積み重ねていこう。

たくさんの、実のある絵を描いていこう。

停滞の日と、半年を振りかえる。

今年の目標のひとつにコンテンツを作る、ということを掲げた。

今年の半分が終わり、何を作れただろうか。

プライベートでは

「バーの絵」

「カラマでも漫画」

「スタバ貯金」

仕事では

「新しいランチ」

ぐらいか・・・パッと思い付くものは。

足りないなあ。

 

今年後半は

プライベートでは

「女性画をまた描く(新たなモデルを見つける)上達する」

「仮三分の一漫画のネタを積み重ねる(発表に向けて)」

「論文を書く(小説や映画にを題材に)」

「僕にしかできないアニメーションとは?模索」

ラカンに詳しくなる(作ることてはないが)」

 

仕事では

「新たなデザートメニュー生み出す」

「自分の接客理論を作る」

「経営知識を増やす」

 

停滞の日はこれを読み返そう。停滞とは余裕があるということだから。

わかりやすく「作った!」といえるものを作っていきたい。

 

少しでも上記のことに携わることをやれれば、充実感を得られて、いい気分になるのではないか。

 

有川浩著「阪急電車」と誤配

君の名は。の監督がアニメ化したらヒットするんじゃないかと思う。若い女性向けの小説である。

 

登場する男がさわやかすぎて、女性の願望まる出しで僕としてはリアリティに欠けるが、なるほど、こういう男になれば女から好かれるんだなと勉強にはなる。

 

僕なりの読後の感想はひとことでいえば「悪の効用」だ。

DV男と別れるために友人の兄の助けを借りて、その後その兄との恋が生まれたり、

迷惑なおばさん軍団がいたからこそ、ミサと翔子は出会い友人となる。

 

ムカつくやつの前で人間達は結束しやすくなる。これは現実社会で皆さんも経験があるのではないかと思う。

悪はただ悪で終わらない。なにかしらプレゼントを残してくれる。それこそ神から人間にセットされたプレゼントだと思う。救いがある。

 

 

 

 

 

 

十二人の怒れる男と密室劇に惹かれる理由

僕の知る限り密室劇の最高峰と思う。

後半失速する感はあるが、この作品に匹敵するものを他に知らない。

 

あらすじは

殺人事件の裁判後、死刑確実視の被告人の罪を判定するため、12人の陪審員が会議室で話し合う。全員一致で有罪の意見かと思いきや、1人だけ無罪を唱える男がいた。

そして彼の意見を聞く陪審員たちが、ひとり、またひとりと無罪に意見を変えていき最終的に全員一致で無罪判定へと終着するまでの話。

 

なぜ僕は密室劇が好きなのか?

密室劇は1つの場所で物語の全てが進行するというその定義からして、ほぼ登場人物の会話だけで成立している。

映像が代わり映えしないという制約を作ることによって、会話だけで鑑賞者の注意を引き続けるにはその内容に強力な魅力が必要となる。

 

どうやら僕は「会話だけで魅力ある物語を成立させている」ことが好きなようだ。

別の言い方をすると「限られた条件下で最大限の力を発揮する」こと。そこには優れたアイデアや入念な準備が必須。

僕が4コマ漫画を好きなのもそういうことだと思う。4つのコマしかないという条件下で、どれだけの表現ができるか。そこにはその人の才能が顕著に現れる。

 

つまりは、優れたアイデアに触れて閉じた目が開くような、世界の認識の仕方がブラッシュアップされる清々しい感覚を味わいたいからなのだ。